ラジオで大阪の住職の方が、今回のコロナウイルス感染でお亡くなりになった方に対する新たな弔いの方法の留意点を全国の仏教関係者に提唱していました。
コロナウイルス感染で亡くなるということは、普通の疾患で亡くなるのと異なり、それまで元気だった人が突然高熱を発し緊急入院、ICUで面会謝絶状態で数日間、そのまま患者と直接、見ることも話しかけることも触ることもできないまま逝ってしまう。そして遺体は完全は感染予防の防具に覆われたまま火葬される。家族の元には数週間前まで元気であったその人のお骨だけが手渡される。。。
また家族も濃厚接触者として危篤状態の患者から隔離されている場合も多い。
その上感染者の家族ということで、差別や偏見にもさらされる。
住職の方は、そのようなコロナで亡くなった人の家族の特別な状況を解説していましたが、女優の岡江久美子氏が亡くなった際に娘の方が「14日間私たち家族は母に何もしてあげられませんでした。」とコメントしていた言葉が重く響きます。
愛する人が苦しんでいるときに、傍にいてあげられない。亡くなった人の尊厳が守られるような弔いが充分にできない。それに対する悔いが家族に喪失の悲しみだけでなく残っていくと思われます。
住職の人は、遺族にとっての弔いの意味や意義を、従来の弔いの方法に囚われないで柔軟なやり方で再構築する必要があると、様々な弔い方を提案していました。
東日本大震災で津波で亡くなられた方の弔いに対して、福島の作家であり住職である玄侑宗久氏も同じような趣旨のことを述べられていたのを思い出しました。
新たな感染症による死という突然の特別な死であるだけに、私たちの文化が長い間築き上げてきた弔いの文化が再考される必要があるのかも知れません。
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