「共感」について、考えさせられる言葉にいくつか出会いました。
北海道庁の職員から北海道産のチーズの販売PRをする会社を起業した男性が、「なぜ食なのか?」の問いかけに対して。
TPPの影響もあり、高齢化や重労働のため畜産農家は苦しい立場にある。食の消費者として私たちは傍観者ではない。「食べることは1億三千万人すべての日本人が当事者である」。その意識をもって自給率を支えるため、何ができるか考えなければならない。
ソマリアの紛争地で、元ギャングや元テロリストだった若者を、「ユース(10代後半から20代前半の未来ある若者とする包括的概念」として迎え入れ、彼らの社会復帰を支援するプロジェクトを立ち上げ実行している男性が、遠く離れたアフリカの人々に共感することの難しさについて。
共感を作り出すために「痛み」にフォーカスする。人々の痛みを想像することで、「自分ごと」に近づけることができる。
痛みという誰もが感じる本能的な強烈な感覚を頼りにして、自分の中の共感を引き起こす方法。
また、自分のアイデンティティに注目して、それを想像によって広げる方法。
「他人ごと」を「自分ごと」に引き付ける方法として、「ぼくのアイデンティティ」を拡げることを心掛ける。
「家族として」、「友だちとして」、「学友として」をどんどん広げて「人間として」という段階にまで拡大する。
ヒトは一人では生きられない、多くの人たちに支えられて生きているのだと意識すること。それは博愛という美しい概念に昇華されなくても、自分が生きていくために他者が必要なのだという利己的な本能に根差したものからでいい、ただ、その他者も自分と同じように他者(=自分)を必要としていることを意識すること。
生命を脅かすような危険にさらされることなく、物質的に衣食住に不自由することなく暮らしていける先進国に暮らす我々が、苦しい立場にいる人々に共感し、支援してくためには、自分の概念を想像力によって広げていくことが大きな力になると思いました。
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