コロナの流行のため、マスクをつけるようになってはや2年以上が過ぎました。
私は花粉症でないためにこれまでマスクを着用することはなかったので、
マスクを着用し始めた時には、とても面倒で窮屈で、正直苦痛でした。
夏は蒸れて、冬はマスクから漏れる息で眼鏡がくもり、外出して帰宅したらすぐにこの不快なマスクをとって、
ほっと一息ついています。
不織布のマスクを着用しているのですが、顔中をマスクで覆われ、帽子もかぶっているため、
顔面で露出しているのは目の部分だけ。
コロナ禍以前ならば、あやしいおばさんと思われていたでしょう。
マスクを着用するようになって、自意識のもちかたも変わってきたように感じます。
「だれも見ていない」、「自分が誰だかわからない」。
そして人を見る目も、
「どうせ(見ても)わからない」、「相手が誰だかわからない」
と、ただでさえ、感染防止のため人との距離を置くことにしているのに、
自分の顔も相手の顔も見えないままのコミュニケーションは、
まるでマスクによる壁越しに交わしているような感覚です。
欧米ではマスク着用の義務付け(マスクをしない人が多いための強制)に対する抗議デモが起きるほど、
マスクに対する抵抗が強いようです。
顔を覆うことに対する文化的な拒否感が強いからのようですが、
古来から面の文化のある日本では、花粉症流行でマスク着用に抵抗がないため、
マスク着用そのものを、アイデンティティの問題としてとらえることはないようです。
ただし、この2年間、顔を覆い続けたマスクによって、
自分の中の何かが変化してきたように感じます。
コメントをお書きください