「無駄学」の西成活裕氏が、無駄かそうでないかの判別は、「目的」と「時間」の観点から判断できるとありました。
新型コロナウィルス感染で、スーパーなどで大量に食料買って「無駄」になったり、今まで習慣惰性でしていたことができなくなり、それでも結構ことが滞りなく進むことから、「あれっ。これって無駄だったの?」と気づくようになったり。
究極は「不要不急」でしょうね。
「不要」=必要ない。「不急」=今やらなくでもいい。
ウィルス感染という、生存を守り維持する人間の営みの「下部構造」に対する脅威に対して、それを基準に物事を判断すると、かなり優先順位はシンプルになります。
そしてその優先順位は、生存が脅かされているという緊急事態だからゆえ無条件で受け入れられるもので、それに伴う不自由や苦痛は「期間限定」で辛抱することができます。
しかし、生存を守るという「目的」があまりにも広範囲に捉えられるようになり、それがいつまで続くかわからない状態に置かれると、世の中、「無駄」なものは一掃されてしまうかもしれないと危惧してしまいます。
「無駄」はあくまでも、対象が限定され、そしてそれに関わっている人すべてが得たい目的に賛同する時に初めてはっきりとした輪郭が浮かび上がってくるものだと思います。そしてそれを手に入れるための欲望の制限の時間も。
これから新型コロナウイルス対策として必要とされる行動指針が、「無駄」の枠組みが窮屈でがんじがらめにならないように、バランスのとれた柔軟な捉え方が必要になってくると思いました。
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