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何かから距離を置く自由

 東京も急に寒くなってきましたね。地元世田谷通りのイチョウ並木もすっかり黄色に色づいて、ぼろ市(12/15.1/15)が待ち遠しいです。

 為末大著「逃げる自由」の中で、「逃げる=何かから距離を置く」と解釈し、目標さえぶれなければ、手段は柔軟に変えてもいいのではないか。そのためには、対象から少し距離を置いて相対的に眺める距離が必要だとのことがありました。

 本は(初稿が掲載されていた時の読者から?)様々な悩み相談に対して為末氏が答えるものですが、その答えがなかなか的確で、氏独自色を出していて、「なるほどねえ」と納得させられるものです。さすが元「走る哲学者」の異名をとっていただけあります。

 ??と感じられるようなやや視野狭窄感の覚える質問に対しても、視野狭窄に至る原因をそれとなく指摘し、別の視点を提供することで、悩むことそのものを相対化する手法は、氏の華麗な走りを彷彿させるものです。

 その手法とは「状況は変えられなくても、解釈を変えることはできる。」というものです。

 例えば

  • 期待値を下げる・・・他人の評価に答えられない自分に対して自己卑下し過ぎるように感じられる質問に対して、それは他者の評価に軸足を置いているからで、その評価に答える能力を持つという期待値を下げることが必要ではないか。そのためには、ちょっとずつ他人も自分も「がっかりさせる」ことが有効な手段ではないかと提唱しています。他人は勝手に期待し、勝手に失望するものだから、それに振り回されないためにも、あらかじめ等身大の自分=期待値を下げることによってそのギャップを埋めておくこと。
  • ネガティブな感情にひたっていることを選ぶのは、「変化するよりは低めのところで現状維持したい、もしくは変化することへの恐れ」から・・・ネガティブな感情から抜け出せないという悩みに対して、実はその感情を選択しているのだ。そしてそれはそのほうが自分は楽もしくは快感であると無意識に感じているからだと、感情そのものの是非よりも、感情が生まれる根治療法を施しています。このような答えは、すべてのことは自分の責任であるという為末氏の生き方のポリシーから生まれているのでしょう。変化に身を投じることは、成功も失敗も自分自身の責任で引き受けること。ダメな自分、どうしようもない自分に自己嫌悪に陥っているということは、ダメな自分、どうしようもない自分のまま現状維持の方を選択している。それはあなたがそれを選択しているのだ。それに対して自覚的になってみなさいと。視点の変化を促しています。
  • 「当たり前のすり合わせ」。視点の低さは害の方が大きい。・・・これらはみな失敗に対する恐怖、自己責任に対する回避から来ている。自分自身で納得した生き方、主体的な生き方をするためには、目標を高くかかげ、視点はそれに向かって高く維持することが大切だと。

 為末氏の言葉に説得力があるのは、何よりも、氏がそのような考えをその生き様で証明してきたから。そして現在も試行錯誤しながら人生を切り開いていく様子を披露し人々の共感を得ている(私を含め)からだと思いました。