デジタル化が進んでいる中、それが及ぼす人間性疎外の影響に対抗するものとして
「ナラティブ(物語性)」が語られるようになりました。
0と1の二項のデジタル情報によって切り取られたその間に広がる無限性を、
各々の語りという行為によって紡がれる物語こそが埋めてくくれるからでしょうか?
今話題になっている上間陽子著「海をあげる」では、沖縄の風俗で働くく女性や著者自身の体験が語られていますが、それらの言葉に事実の重みと信ぴょう性が宿り、彼女らの言葉にぐいぐい引き込まれるのは、自らの言葉で語るという行為が、物語を紡ぐことによって開かれる力を潜在的に持っているからなのでしょうか。
太古から人間は物語を語ってきたのは、それを語る人、そして語られた物語を聞き入る人とが、
現実とは異なるフィクションの世界を共有することで、もうひとつの世界に生きること、
つまり人間だけが可能な想像力を味わうことができるからだろうと思います。
小説や映画やテレビドラマなどに触れて感動するのは、そのようなナラティブの力を感じるからなのでしょう。
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