恩藏絢子著「脳科学者の母が認知症になる」を読んで、著者の考え方、認知症の母親への対応を、まるで自分のことのように親近感を感じました。
タイトルにもあるように恩藏氏は脳科学者で、65歳で認知症を発症した同居する母親を、医療の側からアルツハイマー型認知症患者として捉えるのではなく、家族として愛する母親を「個」として、しかしながら、脳科学者として母親の脳の中にどのような変化が生じ、それがどのような母親独特の症状として発生しているのかを客観的に観察する両義的な立場です。
私も恩藏氏とだいたい同じくらいの症状が進行中の86歳の認知症の母親がいて、氏のような専門家ではないけれども、脳科学や認知症の本を読み漁っているため、母の認知症への気づき(かなり初期段階で気づくことができ、医療や介護へとつなげることができました)、母の症状を「これは脳のどの部分が変化したからなのか」と、洗われている言動そのまま受け止めるのではなく、客観的に観察判断する視点を取るようになっています。
私は18歳で親元を離れ独立して生活しているため、ずっと同居している恩藏氏とは、母親との関係の濃密さ違いはあるため、このような「冷めた」視点が持てるのかも知れませんが、認知症がたどる経過を予想し、それが現実になることを思うと、やはり喪失感と悲壮感と絶望感と拒否感に襲われてしまうことがあります。
でも認知症に関する医療や科学的な知識があることは、実際に認知症である母の言動を客観的に距離を置いて捉えることができ、症状が引き起こす必然的なそれを「理不尽」とか「利己的」であるとか本人の意志でやっていると思うことがなくなり、怒りや悲しみをダイレクトに感じる前に、「これは、このような脳のしくみによって生み出されている言動だ」という迂回路を通って認識するようになり、穏やかに、やさしく、母に接する気もちになることができました。
恩藏氏が脳科学者としての知識から、母親に愛情深く温かく接する姿勢にとても共感を覚え、氏の母親が穏やかに人生の最終章を歩んでいられるのは、認知症であっても本人のアイデンティティを深く認められているという安心感なのかも知れないと、自分の母親の場合と重ね合わせて感じました。
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