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認知症

 4日ほど山口の実家に帰省して昨晩遅く帰宅しました。

 バスを3回乗り継ぎ、飛行機とで延べ8時間。それでも行きより乗り継ぎが良いほうですが。

 オミクロン株が流行しているにも関わらず、土曜夜の東京は人出が多くて久々に都心に出てびっくりしました。

 けれどもバスの車窓から街を見てみると、飲食店の多くは土曜の夜というのに客がほとんど入っていなくガラガラで、やはり多くの人が外食を控えているのだなあと。飲食店の人も大変だろうなあと思いました。

 実家では88歳の認知症の母が一人で暮らしています。

 幸い、認知症以外軽い糖尿病があるくらいで、持病もないので、デイケアやショートステイやヘルパーさんの助けで一人暮らしを健気にしています。

 東京に住む子供たちに迷惑をかけたくないとのことでがんばって一人でやっていってくれて、

 とても感謝しているのですが、3か月おきに帰省して、いざ実際に母に対面すると、

 認知症症状のため、5分と記憶がなく、いろいろ確認することもほとんど覚えていなく、実際はどうなのかわからなくて、どうしてもきつい口調で詰問調子で尋ねてしまいます。

 また、なんども同じ話を聞かされて、間違っているので注意しても何度も同じことを繰り返すので、イライラしてしまいます。

 認知症関連の本を多く読んで、その症状も、当事者の置かれている状況も、頭では理解しているのに、

 いざ、直に当人と接すると、「認知症の病気なんだから、当人のせいではない。」と思ってもイライラしてしまいます。

 たぶんこれまでの母娘の確執(娘である私だけが一方的に抱いている)が根にあって、素直に母の今の境遇に同情できないということもあると自覚はしていて、それゆえ、このような気持ちを抱くのに疚しさも覚えているのですが。

 病気で不可能になっている人にできないことを要求しても不合理で不毛であると、合理主義者を自認する私は、母以外のことでは割り切れるのですが、肉親の情がからむと、中々困難だと実感します。

 けれども、残り少ない母との時間を、できるだけ良いものにしたいと、こうしてコロナ禍にも関わらず帰省しているのですが。。。。

 認知症になって、すっかり性格が丸くなって、全く怒らなくなった母を本当は愛おしく感じているのですが、

 心の底から認知症を受容していきたいと願っています。