料理研究家辰巳芳子氏の言葉で、「何かを食べて、本当においしいと感じるとき人は、何ものかによって自分の存在が認められたと感じる。自分は生きていいのだと実感する。」に出会いました。
おいしいと感じる自分、そしておいしい食を提供してくれた自分以外の他者。食べることによって快をもたらされること。それは自分の存在に対する恩寵のようなものだからだと思います。
辰巳氏は、母親の料理研究家である浜子氏の、食に対する真摯な向き合い方を受けづぎ、食といのちについて考察し続けてきました。
食べる行為は、その素材がすべて他者のいのちであることから、他者のそれをはく奪し、そしてそれを自分自身のいのちをつなぐ糧にしながら生きています。
「おいしい」と感じるとき、それは他者のいのちが自分のいのちと呼応しているのではないか。
食べるという、究極的に肯定が不可能な行為、生き物の業でもある行為において、それでもからだが感じてしまう「おいしい」は、他者から与えられた「生きていいのだ」という承認なのかも知れません。
それゆえ、承認を与えてくれる他者ーそれが自らのいのちを提供するもの、食をしつらえてくれるものであれ-感謝の気持ちの表明ー「いただきます」、「ごちそうさまでした」-を怠ってはならないと思います。
辰巳氏は特に料理してくれる人に対する労いに対して
「人間、仕事をしてよきにつけ、‘認められぬ‘ほど疲れが抜けぬことはない。それは不思議なうっ積となって人の中に残る。人の労苦を受ける側が、どうしても認める努力を怠ってはならない。」と、厳しく諫めます。
「おいしい」は実存に対する承認であり、祝福であることを改めて思いました。
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