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「おいしい」よりも「うれしい」

 アメリカ大統領選は、予想通りの混戦模様。トランプ氏の「ゴネ」で泥沼化しそうですが、

 1月の新大統領宣言までには、必ず決着するように制度が決められているようで、

 「腐っても鯛」ではないですが、民主主義のアメリカを信じたいところです。

 毎月愉しみにしている朝日新聞連載のグラフィックデザイナー ナガオカケンメイ氏のエッセイに、

「おいしい」を超えて「うれしい」を感じられた。

という言葉がありました。

 富山のお寺で催された会で、料理研究家中川裕子氏の伝統的な日本食による昼食を仲間の皆と食べあった体験についての感想です。

 その日の食事は釜戸で炊いたご飯を中心として、富山の産直の素材を生かしたシンプルなおかず。

 「ごはんが主役」の食事に、ナガオカ氏は、最近の日本の食事が「おかずが主流」であることに改めて意識したそうです。

 写真でみると、本当にシンプルでたっぷりのごはんがなければ(失礼ですが)質素な食事ですが、

 とてもおいしそうでした。

 そしてそのお味は、「おいしい」を超えて「うれしい」というナガオカ氏の感想につながるものでした。

 その言葉を読んだとき、

 もう8か月もコロナ禍で個食が続いているなあという、さびしさでした。

 定例の友人との会食もキャンセルのまま、一人暮らしなので、必然個食です。

 一人で食べることは全く嫌ではなく、むしろ、自分で食べたいものを、すべて、自分の手作りで(毎食10皿ほど用意します)、好きな時間に(厳密に決められているのですが)、

 自分でいうのも何なのですが、とても充実した食事になるように、もう、私の全精力を費やして、食べることに勤しんでいるのですが、

 それを食べるのは私。一人で小さなループがぐるぐる回っているような虚しさも感じていました。

 「うれしい」というのは、やはり、食事のおいしさよりも、誰かと食べるという会食という行為によって、

 強く掻き立てられるものだと思います。

 「うれしい」食卓を早く体験したいなあ。