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同じ空気の重み

 今日バイデン大統領が就任後はじめて日本を訪問します。

 コロナ禍の影響で、政治家に関わらず、多くの人が直接対面する機会が激減した今日この頃、

 「同じ空気を吸う」という意味合いが変わってきていることを感じます。

 コロナ以前では「今度、また、いつかお会いしましょう」と社交辞令も含めて何気なく言えた台詞が、

 躊躇の気持ちもあり言えなくなってしまいました。

 私も2年以上友人とのSkype超しにしかあっていません。

 恒例の月一度の駄弁りは4時間にも及び、ほとんど直接話している時と変わりはないように感じるのですが、

 それでも、飲食を共にして「同じ空気を吸っ」ている時とくらべて充実感が少ないような気がします。

 「同じ空気を吸う」とは、文字通り同じ空間を共有し、お互い同じ空気を吸うことで、

 そこで生まれる呼吸のリズム、五感から感じ取る相手の心模様。

 それらの無意識の膨大な情報がビジュアル=視覚と音声=聴覚だけに限定されてしまうために、

 受けとる情報量が少なくなってきていることからの道足りなさなのだと思います。

 政治家の対談でも、外交の根回しがすでにすんでいるはずなのに、

 わざわざ直接訪問して対面対談をすることは、

 「同じ空気を吸う」ことによる政治家自身の人格が試されるものになることを期待します。