養老孟司氏が100歳で亡くなった女医だった母について語っていました。
女医の草分けとして、また早世した夫に代わって家庭を支えて、女性として多分数々の困難を経験されてきたであろうに、「女であってよかった」と生前述べておられたようです。
「女性であるがゆえに、いろいろな恩恵も受けたから」というのが理由だそうですが、当時盛んになりつつあったフェミニズムにも背を向けて、自身の正直な感想です。
私自身、養老氏の母親の世代とは比べ物にならないくらい女性として自由な時代に生まれ育っていますが、育った家庭では兄弟に挟まれた長女である娘の私に対して、両親から一度も「女だから」と言われたことも、女として他の兄弟とは別の扱いを受けたことも(少しは考慮してほしいくらい)、進路に関して制限されたことも(40年前の地方では女性の大学進学率も高くなく、親元と離れての女子の進学を許さない家庭も多かった)ありませんでしたし、就職(私はフリーターの走り)や結婚についても(結果としてしなかったことについても)、何も言われたことはありませんでした。
そして社会に出てからも、会社組織で働いた経験がないために、職場で多くの女性が体験する、「女であるがゆえ」のマイナスを経験することがなく、むしろ女性で理系家庭教師として需要があり(ニッチを狙ったこともありますが)、またこれも女性専門(男性も診療していますが)の鍼灸師として特化して差別化することができ、女性としての恩恵を最大限に発揮できています。結婚しいことも、子供がいないことも、面と向かって批判されたことはなく、むしろ自由でうらやましいとは何度も言われて、単純な私は素直に肯定的にそれを受け止めてきました。
女性であることは自分が選ぶことはできないことであるならば、それがマイナスにならない領域で、女性ゆえの特色がいかせるような分野を無意識(意識してはいなかった)のうちに選択していたのかも知れません。
だから結果として女であるがゆえに、悔しい思いや悲しい思いを経験したことが一度もないために、フェミニズム思想については深く共感し、その活動や主張には一定の理解はするのですが、自分自身の中から湧き出てくる思いがないので違和感があります。
だから養老氏の母の考えに深く共感しました。多分自分の属性に対してあまり意識的でないところが似ているのではないかと感じるのですが。
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