認知症専門医新井平伊氏の著作を読んで、氏が映画の監修をした「ペコロスの母に会いに行く」の原作漫画の場面が紹介されていました。
「ペコロス」は重度の認知症になった施設入所の母の様子を息子の目を通してほのぼのとしたタッチで描かれてしますが、認知症になっても失われない、ペコロスの母の世代の女性の、現在からみれば過酷な女性の置かれた人生について、彼女たちのしたたかで柔軟な精神になぜか涙してしまいます。
夫(酒乱)のわがままにひたすら耐え従い、家事、子育てをしてきたペコロスの母は、ある日亡き夫が誤りに訪れる認知症症状の幻覚を見ます。幻覚の中で彼女はひれ伏す夫に対して、良く帰ってきてくれた、誤らないでくれとうれしそうに答える。
この症状を見て、新井氏は、現実と錯覚が混乱する世界で生きていて、生前夫に謝ってほしかったという願望も繁栄されているのだろうと感想を述べていました。
ペコロスの母の生き方は、現在に生きる私が同じように生きろと言われたら、とても耐えられるものではないですが、当時の過酷な環境の中で、女性の権利が認められないがために強いられた数々の忍耐を受けざるを得なかったと思われますが、
それでも、彼女たちの女性性は現在の女性の立場から見て、崇高さ、柔軟な強靭性を感じるのはなぜでしょう。
きっとそれは女性の母性の本性が素直に育まれていたからなのではないかと思います。
コメントをお書きください