認知症の人の心のあり様を臨床研究されている佐藤眞一著「認知症の人の心の中はどうなっているのか」を読んで、認知症初期の母や、認知症であった患者さんたちをずっと思い浮かべながら、
「まさに、そのとおり。」と深くうなづくことばかりでした。
佐藤氏は、これまでの認知症評価で用いられる「質問→答え」の様式は、
自身の認知力に不安を覚えている認知症初期の人にとっては、プライドを傷つけるものであるため、
途中で怒り出したり、傷ついたりする後遺症があり、
もっと自然に会話の中で、認知力を判断する方法「CANDy」を考案しました。
本の中で実際に認知症の人相手のCANDyでの会話の例が挙げられていましたが、
実際に母と話す時に感じるもどかしさや違和感やいらつきなどが、
認知力の衰えからきているもの、当人がそれを隠そうとしたり、おぎなったりするために
語っている様式なのだと深く納得しました。
佐藤氏のまなざしは、認知症者の内在的な世界に寄り添うものであり、
多くの認知症の人との対話を通じて氏が理解した認知症の人の心は
ヒトは他者の立場に100%立つことは不可能であることを前提として、
それでも、できるかぎり内面を理解しようとするものでした。
その中で、強く共感したのは、「プライドを取り繕う行為を客観的に眺めることができないことが、
認知症の人を『がんこ』だとか『かたくな』だとか、『みじめだ』という印象を抱いてしまう
原因になっている」という氏の捉え方でした。
日本人は秘めたプライドを自分から開示することはみっともない、あさましいという文化を持ち、
人から褒められたり、認められたりした時だけ、開示欲が満たされるものです。
認知力が劣えて、アイデンティティが傷つき崩壊する危険に対して、必死で抵抗している姿が、
認知症の人の攻撃的な行動になってしまっている。
そしてそれを隠すことができず、取り繕う能力も崩壊している。
その彼らの悲しみに深く共感することを、佐藤氏の認知症の人に対するまなざしによって教えられました。
それは、「自分も認知症になる。」
当事者意識によって、彼らの内在的な心理を理解することだと思いました。
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