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ラジオさんありがとうございました。

 7年間愛用してきた防災ラジオが壊れてしまいました。

 防災用なので、懐中電灯とサイレン付きで、持ち運ぶ安いように頭部にハンドルがついていて、テレビのない生活をしている私にとっての情報源として活躍してくれました。

 もともとラジオを聴く習慣がなかったため、東日本大震災後、実家にあった防災ラジオを母が送ってくれた時も

しばらくはそのままにして聴くことはありませんでした。

 けれども英会話の勉強を始めてから、毎日述べ2時間NHKのラジオ英会話の講座を複数聴くことにし、7年間毎日欠かさず、ラジオから流れてくる英語に耳を傾けてきました。

 英会話の方は遅々として進みませんが、ラジオ深夜便(アーリーバードな私は4時から朝食を食べながら「明日への言葉」を毎朝楽しみに聞いています。)から、毎朝ラジオ、そして大好きな藤井アナがアンカーを務める「すっぴん」など、もっぱらNHKだけですが、すっかり毎日ラジオ浸りの生活になってしまいました。

 7年間のラジオ生活で気づいたのですが、聴覚(つまり言葉)で概念構成する聴覚人間である私は、ラジオという媒体とすごく相性が良いということです。テレビが苦手だったのは、私にとって視覚的な情報量の多さに翻弄されがちで落ち着いて情報処理できないためだと気づきました。

 ラジオは音だけなので、話しての息遣いまでが感じられて、言葉がすんなりと耳から頭に入ってきます。

 そして何よりラジオの話手との距離の近さを体感できます。一対一対応。テレビではたとえ一人で見ていてもそのような感覚になることはなかったのですが、ラジオの場合、私に向けて話しかけてくれる、親しみをかんじるのです。

 そしてラジオはその番組編成が投書で支えられていることもあって、同じ視聴者を強く意識し、「連帯」という古めかしい言葉さえ浮かんできます。

 そのような生活に喜びを与えてくれて、英会話学習のきっかけを作ってくれた愛用のラジオだったのに、乱暴に扱い落してしまい鳴らなくなってしまいました。

 ごめんなさい。

 ものに対する執着は少ないほうで、どちらかというと、物はあくまで物理的なものとして、思い入れを持たないように生きてきているのですが、ラジオは格別だったのだなあと、壊れたラジオを捨てられないことから気づきました。

 素敵な7年間の時間をありがとう。

 柄にもなく鳴らないラジオに感謝の言葉を投げかけています。