ラジオで(テレビがないので、もっぱらラジオ愛聴者です)、歌手ジュディ・ガーランドの晩年を描いた新作映画について映画評論家の女性が語っていた言葉で「才能はコントロールするのが難しい」というのがありました。
ジュディ・ガーランドの生きざまについて語られたのですが、少女時代から天才少女と呼ばれ、ショービジネスの世界で脚光を浴びてきたジュディの私生活は、家族の愛情に恵まれず、男性関係、酒や薬、金銭問題等々、決して幸せといえるものではなかったようで、心も体もボロボロになりながら、歌手活動も中断せざるを得く長い間引退していたこともあったようです。
しかし、映画ではステージに立ったジュディの(舞台裏とは打って変わって)別人のような生き生きとしたスターとしての輝きのコントラストが、主役の女優のジュディが乗り移ったような名演技によって見事に表現されているそうです。
まぎれもなくジュディは歌う才能を与えられ、そしてその才能を花開かせてきたのでしょうが、才能は自分の力で手にするものでなく、神に与えられたような偶然の賜物でもあるので、人々を引き付けるその力を引き受けてそれを体現し続ける人生は、それを与えられていない凡人にとっては憧れと渇望を抱いてしまうものですが、当人にとってはそれが与えてくれる快楽と共に、ともすればそれを持て余してしまいます。
才能を与えられても、それをうまく「コントロールする才能」は往々にして与えられないものです。
彼らは、その才能を人々に披露し人々を魅了し快楽を与える使命を与えられたある意味サクリファイスではないかと、ふと、思いました。
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