ブレィディみかこ・鴻上尚史の対談「何とかならない時代の幸福論」の中で、
ブレィディ氏のイギリスにいる13歳の長男が日本の政府の対応について「国民を信用していない」と評価している言葉を聞いて、私たち日本人が多様性に抱く恐怖感というものに気づかされました。
現代の日本社会に生きる私たちすべてが感じている閉塞感は、多様性と表面では唱えながら、出る杭撃ちの傾向が益々強まっていることを感じていることから来ているように思います。
特に若い世代に「無難にすます」ことが処世術として無意識に定着しているようで、彼らのスマートで所作のない言動から感じます。
昭和の頃は、もっと「野蛮」で「下品」で、嫌な思いをすることも多々ありましたが、そのぶん変な事に対する寛容さ、鷹揚さが社会にあった気がします。
それがなくなったのは、私たちみなが、他者に対する、つまり社会に対する信頼がなくなってきたからではないかという意見は腹に堕ちました。
自分はいいけれども、人=社会はそうではないだろうから。。。という理由で、禁止される事項が増えているように感じます。
多様性は、まず、他者を信じる心、何をしでかすかわからないけれども、とりあえず信じようと覚悟を決めることから生まれてくるのだと13歳の少年に教えられました。
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