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真の主体性

 アマゾン配信見たい放題ビデオで「はじまりへの旅」を見て、深く考え込んでしまいました。

 物語は、アメリカの山奥に住むヒッピー的な父親の指導の下、18歳の青年を先頭に7人の幼子兄弟姉妹たちを、サバイバル教育しながら暮らしている一家が、長年うつ病を患っていて自殺した母親の葬儀に初めて文明化さえれた世界へ、中古のトラックバスで旅をするというものです。

 当初から、鹿をサバイバルナイフで仕留め、血の滴る内臓を口にすることで大人へのイニシエーションを果たす場面があり、電気も水道もガスもない中、父親の指導のもと子供たちはスパルタ教育を受けながらも、伸び伸びとくらしている様子が描かれています。

 子供たちの教育は、かなり専門的で高度な本をみずから読み解き、父親とのセッションで知識を確かなものにしていて、長男は父親に密かにハーバードをはじめ、アイビーリーグへの入学許可も受け取っているレベルです。

 一見専制君主的に子供たちを支配しているように見える父親は、かなり極端な現代文明社会批判者で、独自の哲学を持ち、子供たちをそのように教育しますが、子供たちの意見もしっかりと聞き、それを尊重しています。

 初めて文明に触れた子供たちは、驚きと戸惑いを感じますが、しかし、父親からどっぷりと資本主義への批判を気化されてマルクス主義的な本を読みすすめてきた彼らの目には、それらは批判の対象として映ったようです。

 亡くなった妻の実家は裕福で、子供たちを父親の偏重した支配のもとから「まとも」な世界へと取り戻そうとする祖父との対立と軋轢に、子供たちは父に対する両義的な思いもあって、悩みます。

 いろいろな事件があり、父親は自分の偏向した思想を子供たちに押し付けていることに気づき、子供たちを祖父にたくして一人戻ろうとします。

 けれども、子供たちは密かに父親の運転するバスに潜り込み、父親とともに生きることを選択し、仏教徒として火葬される母の遺言を果たすため、埋葬された母の遺体を掘り起こし、河辺で火葬の葬式を再び上げます。

 最期は長男がナビミアへ旅たち、子供たちは地元の学校へ通っている様子も描かれています。

 この映画を観て、家族というものが子供たちの主体性へ与える影響を考えました。

 子供たちは父親の世界しか知らない。そしてその世界は厳しくとも慈愛に満ちたものであり、父親を深く愛している。そこから生まれる主体性は、果たして、本当に子供たち自らの主体性なのか?

 そして父親も決して自分自身の正しさを100%子供たちに押し付けているのではなく、子供たちからの反論も真摯に受け止め、行動修正をする柔軟性がある。

 けれども、やはり家族というものが持つ危険性も強く感じました。