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仮想的恐怖

 日本文化研究家ロバート・キャンベル氏が、今回のコロナ禍で私たちに生じる心理について「仮想的恐怖 『WHAT IF』の恐怖であると述べていました。

 地震やテロなどの災害に対しては、その被害者にならなくても私たちはそれをこれまでの体験や知識から被害の状況を想定し、その恐怖を思い描き、共感なり同情なりを覚えますが、今回のコロナウィルス感染に関しては、感染の病態も明らかでなく、また自分自身もリアルタイムでその渦中に放り込まれてしまっている無力感、「もしかしたら?うつってしまったかも?」という恐怖を100%払拭できない状況に陥っていることを氏は指摘していました。

 それは、被害者であって加害者である(感染者であって、感染源である)、対岸の火事であって、こちら側の火事である(感染した人、感染する可能性)、感染者は自分であり、しかし自分は感染者になってはならない。

 突き詰めて考えれば考えるほど、ジレンマに陥ってしまいます。

 できるだけのことはやっているから、後はそれについて考えるのはよそう。という線引きをするのが難しいのが、この未知の感染症対策の特色でもあります。

 新型であるから病に対する知見の積み重ねが充分でなく、「できること」の範囲がはっきりせず、どこまですればいいのか、それは客観的なデータに基づくことは難しい状況の中で、各自の病に対する観念次第になっているからです。

 もともとおおざっぱでいい加減で、物事を真剣に捉えない傾向がある能天気な私は、要請されているスタンダードな感染予防を取っているだけで、なんだか免罪符のように感じて安心し、ストレスを全く感じていないのですが、このコロナウィルス感染が、長期戦になってくる様相で、心理的緊張のために精神的バランスを崩してしまう人が出てくるのではないかと危惧しています。

 私たちはこれから以前と同じ日常に戻ることはできず、この「仮想的恐怖」の心理的負荷を心の底に潜在させながら生きていくことを余儀なくされるのだと思いました。