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自然の機嫌をそこねないで付き合う

 ラジオで造園家涌井史郎氏が「日本人は自然の機嫌をそこねないで付き合ってきた」と、日本人と自然との対峙の仕方を述べていました。

 災害の多い島国でありながら、いや、それがもたらす豊かな自然を享受もする暮らしを営んできた日本人は、自然に対して両義的にならざるを得なかったからだと思います。

 日本の神=自然のほとんどが「荒ぶる神」であり、日本の祭りはすべてその神の「ご機嫌」をとり、怒りを鎮める効果を期待するものであることから、日本人の心の中に、自然は「機嫌を損ねたら怖い存在」として畏れ、敬う心が培われてきたのでしょう。

 日本の庭は、そのような荒々しい自然を、人間の手で手なづける方法を模索するために、自然のフェイクを箱庭という空間で再現しようとしたのではないかと涌井氏は考えます。

 そうした自然との付き合い方の究極の方法は「逃がす」ことだと涌井氏はいいます。

 面と向かって戦うのではなく、相手の力をいったん受け、その力を利用しながらその力を逃していく。日本の武道に見られる操法です。これが日本庭園をはじめ日本文化の多くに現れていると。

 そして資源の限られた島国という環境の中で、「つくりまわし」、「使いまわし」の文化が育まれ、モノは作り替えられ、使いまわされ、最後の最後までその使命を全うし尽くすまで付き合う。

 人知を超えた自然の脅威とつまく付き合う方法が、日本文化の中に蓄積されています。

 島国という地理的隔離条件が有利に働いたのでしょうが(逆に蔓延すると全島ダイヤモンドプリンセス号状態になってしまうけれども)、他の大陸におけるような感染症流行の歴史がほとんど経験していない日本文化の中に、感染症への耐性の秘訣があるのかも知れないと思いました。