バーチャルリアリティを開発したジャラン・ラニアー氏の著作を読んで、SNSの功罪について考えさせられました。
私はフェイスブック、ツイッターなどのSNSを一切していないので、それが他のネットプラットフォームとは極相が異なる深刻な影響を使用する人に与えているとは知りませんでした。
私がSNSをしないのは、(SNSが提供する多くの)人とつながりたいという気持ちが湧き起こらないからです。バーチャルな言語と映像を媒体としたもので「つながる」ということに違和感を感じるからです。
そしてSNSはリアルタイムで相手のフィードバックが返ってこないために、修正されない自己が肥大してしい、そのようなものを送っても送られても、単なる自我のやり取りというだけになってしまいそうな気がするからです。
ラニアー氏が警告しているのは、SNSがそこに提示される情報が企業の格好の宣伝のための資料となり、知らず知らずのうちに企業の利益となるように利用者が誘導されて、それは利用者の人格にまで深く影響を与えてしまっているということです。
確かに、SNSをしないものからすれば、それを頻繁に利用している人に対する違和感を強く感じることがあります。相手の自己申告の情報に対する信頼というか、情報に対する質が利用しない私のそれと違うような気がするのです。
もしそれが、SNSを事実上「支配」している企業媒体の影響であるとすれば、世界中のSNSを利用している人の人格の深層まで操作されて変革してしまっているのかも。。。。
と、妄想に近い恐怖を感じています。
今回のコロナ禍に対しても、SNSをしていないものと、重度に利用しているものとの心理的ストレスは大きいのではないかと感じました。
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