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スポーツと感動

 7月9日にここ東京世田谷での聖火ランナーの走行コースのお知らせのパンフが郵便受けに入っていました。

 各宅に配られるのでしょうから結構な出費だなあと思いました。

 コースを見ると、まさに私が毎朝ジョギングしているコースと重なっています。

 「へぇ~あの道を走るのかぁ」と。

 毎朝聞いているNHKラジオで週一回全国の聖火リレーについての取材があり、

 それぞれ聖火ランナーの「物語」が語られています。

 コロナ禍で、ほとんどの開催地域が走行に制限を加えられた様子を知るにつれ、

 走っている人に申し訳ないのですが、茶番劇を思わずにはいられません。

 というか、もともと、スポーツに物語を付与する精神が理解できないからです。

 きっとスポーツそのものが苦手で、それを楽しんだ経験が皆無だからだと思います(では、なぜ毎朝ジョギングをしているのか?笑)。

 40過ぎてジョギングを始めるまで、田舎の中学校時代強制的にすべての生徒が運動クラブに所属しなければならないという条件下で、セクハラ指導教師の下で毎日放課後バレーボールの練習をさせられた、死ぬほどいやな経験や、もともと体を動かすよりも読書などインドアが好きな体質もあえると思います。

 スポーツが好きな人だけがやればいいことで、それをしたくない人、それに無関心な人にまで、スポーツの「感動」を国民イベントの形で強制してほしくないです。

 ましてやコロナウイルス感染症という非常事態において。

 このような状態でオリンピック開催に「突っ込んでいく」日本政府の状態を、

 戦争回避、戦争想起収束が不可能にした当時の大本営をダブって感じるのは私だけではないと思います。