内澤旬子著「ストーカーとの700日戦争」を読んで、ストーカー被害がいかに凄まじいものか、読んでいて胸が苦しくなりました。
内澤氏はほぼ同年齢、ずっとフリーでやってきて、ぶっとんだ感覚(ぶたを授精から育て、最後に食ってしまう!)と、それでいて自由で開放的な感覚(世界中の屠畜現場を取材し、屠畜業が差別と偏見にさらされているのは日本だけなのか体当たりで、現地で実際に解体作業に参加し、解体した肉を食ったレポ)、乳がんに罹り、その抗がん剤の副作用から心身ともに激変する自身の身体について、様々なチャレンジで手名付け、それを克服した体験記、その影響でそれまで築いてきた東京での人間関係(夫との関係)や住居にも違和感を覚え、すべてリセットして小豆島に移住してしまったこと。そしてそこでヤギを飼い、狩猟の免許も取得して狩猟した肉を解体する工場も作ろうとしていたこと。。。
発達障害(と診断されたらしい)からくるのかも知れない過集中のけがあるようにも感じられますが、50歳過ぎて己の趣向の赴くまま素直に思ったことを実現する実行力にはいつも脱帽し、その活躍を共感しながら応援していました。
しかし、その裏にストーカーによる恐怖に慄く日々が隠されていたとは。。。。
フリーのライターとして人間関係が常に開かれたものでなければならないし、他人に対する偏見や差別意識がないからでしょうが、ネットのマッチングサイトという自己申告の相手を、彼女特有のおおらかさで信じてしまったのは警戒感がなさすぎで、人が良すぎるような気が少々しますが、その後の被害の深刻さを考えても、ストーカー被害者として、落ち度とは言えないと思います。
せっかく気に入って生活基盤も築きつつあった住居も、ヤギも手放し、恐怖心からくる精神的不安定と、警察や裁判の訴訟関係による煩雑さと、対応への不満と怒りと絶望で、文筆業にも支障をきたす日々。
その中示談の約束を破り、ストーカーは2チャンネルに誹謗中傷を書き連ねる日々。
内澤氏の奮闘から、ストーカー被害(ストーカーだけではなく)犯罪被害にあった人たちが、闘う相手は犯人だけでなく、日本社会という、一人で孤軍奮闘するには、あまりにも大きくて堅固な構造なのだと、読んでいてめまいに襲われそうになりました。
内澤氏が何度も助けを叫び続けているのに、市民を守ってくれるはずの側がそれを聞き取ってくれない。
しかしさすが内澤氏、独力で助けとなる人を見つけ、地獄のような日々からようやく抜け出すことができたようです。
そしてストーカー自身に対しても、それは病気であると治療を進めること、それがこれから自身が再びストーカーの恐怖におびえなくてすむ唯一の方法だとし、それを求める冷静さに感服しました。
ストーカー被害にあった人が、勇気を振り絞って初めてその実態を公に明らかにしたことで、社会の理解が進むことを期待します。
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