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謝罪の姿勢

 韓国の大統領候補の人の相次ぐ家族の不祥事に謝罪している写真をネット版新聞で見ました。

 日本人と同じように深くお辞儀をしている姿勢でした。

 先日、日立の子会社で製品不正事件が発覚して、CEOの外国人の人が、日本人と同じように謝罪していました。

 彼らの謝罪姿勢は立ち上がり、深くお辞儀するというもので、

 私は、そのような謝罪姿勢は、日本人だけだと思っていましたし、

 そのような謝罪「パフォーマンス」は日本文化独特のものだと思い込んでいましたが、

 日本人以外でも(外国人のCEOはたぶん日本文化に迎合したのでしょうが)するのだなあと感じました。

 不祥事があるたびに、加害者とされる側の人が時には数人が一列になって謝罪する姿、

 特に最近はマスクをつけながら、深くお辞儀をする姿に、違和感と冷めた感覚を覚えてしまいます。

 本来、謝罪というのは、被害を与えた相手に対する申し訳ない気持ちの表明と、責任を伴なうものであり、

 私自身プラグマティスとであるために、実際に責任を果たした後で謝罪するものだろうと思っているからです。

 謝罪のパフォーマンスは、被害者側の怒りを軽減するために行われるもので、それは責任義務を果たしたという結果を伴なわない段階で謝罪することは、なんだか、ごまかされたような気がするからです。

 でも、きっと謝罪の中には、被害者の怒りをまず解消することが含まれていて、被害者にとって、実際の被害うんぬんという事実よりも、「申し訳なかった」という加害者側の気持ちを示してくれることで、受けた心理的被害が、時には、実際の免責になることさえあるのでしょう。

 でも、最近の謝罪パフォーマンスは、どうしても公式見解に感じられて、謝罪の真の意味がかえって薄れてくるように感じられるのですが。