京都在住の51歳のALS女性患者が二人の医師の幇助で自殺した件で、幇助した医師が逮捕されました。
事件の焦点は医師らは自殺幇助(刑事事件)に当たるのかということです。
東海大学の安楽死事件以来、医師と治療する患者の間で安楽死を認めるかについて、現場での混乱が生じないように積極的、消極的に法的整備がされてきました。
日本では後者は医療の現場では容認されてきているようですが、前者は認められていません。ただし、安楽死の4条件にすべて当てはまるときに限って患者の強い意志で認められます。
今回は積極的安楽死で、4条件が当てはまるかどうかということで、当てはまらないのではないかということでした。
でも、私はこの件を当事者の患者の立場で考えると、自身の命の選択の自由を奪われているということが一番つらいのではないかと感じました。
詳しいことは知りませんが、女性は身内に父親だけで、独身51歳。私自身の境遇と近い(50代独身)ということもあり、自分に引き付けてみると、ALSという難病にかかり、手厚い介護を受けているとはいえ、病状は進行していき、最後にはロックダウン(他者とのコミュニケーション手段がすべて奪われる)になることは必須で、大好きだった旅行もできず、このまま死んでいくのかと思うと、はやく楽になりたいと強く願い、死を選択し、実行したくなると思います。
しかし、女性は死を自分で実行することもできなかった。とすれば、誰かに頼むしかない。知り合いはいないし、援助してくれることはかなわない。となると、今回の手段によるしかなかったのだと思います。
多分事件性を問いただされたのは、幇助した医師が、純粋に患者の気持ちをくんで実行したことよりも、優性思想が垣間見られる、つまり、どんな命でも救うことが医師の使命だとされる医師の倫理に反するような意見を表明していたことが問題なのではないかと思います。でも、それを表明していなくても、発覚すれば逮捕されるでしょうが。
今回の件で、みずからの命の選択について、その手段が失われた人にどう対処すればいいのか。
本人が心の底から望んでいたこと(追い詰められた境遇がなせる業としても)が、不可能であるとき、それを援助することが殺人に当たるのか?
大切なのは当人の気持ちではないかと思うのですが。
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