4月29日は「昭和の日」だったんですね。「緑の日」の印象が強くて。
最近つくづく私が育った昭和40年代~60年代は、非常に特殊な時代だったんだなあと感じます。
日本が高度経済成長を終えて、安定期になり、バブルに突入し、やがて崩壊し、平成が始まり。。。
自分が育った時代を客観的に判断することは、同時代的には不可能で、振り返ることによってしかできないので、昭和が終わって30年以上経ち、平成も終わり、令和になって、つくづく「昭和は遠くなりにけり」の感慨に浸っています。
物心ついてから私の心のベースにあったのは、「世の中発展、進歩していく」という思いでした。子供だったので、具体的な社会、経済のしくみはわからなかったのですが、山口県下関という地方都市のはずれの農漁村地帯にあった県営住宅に住む小学校教師の娘として、自分の成長とともに、なんだか世の中が豊かになっていくことを、白黒テレビがカラーテレビになったこと(カラーテレビで最初に見た映像が「帰ってきたウルトラマン」でした)、電話を自宅にひいたこと(父が嬉しそうに知人に「電話を引いたので」と話していた光景を思い出します)、市の駅前のデパート大丸に道を挟んで「ユニード」ができた時、そこに向かう大勢の人々に混じって横断歩道を渡るとき同世代の男の子が「大丸にとって強敵だね」といっていたことを思い出します。
怖いことと言えば、そのころ「ノストラダムスの大予言」や「木曜スペシャル」でUFOの特集などがされていて、まだ東西の冷戦構造が残っていたので、核による世界滅亡のことを子供ながらに恐怖に感じていて、「大人になるまで世界は存在するのか」というものでした。
でも科学技術の進歩に対する社会の信奉は強く、子供ながらにも感化されて、それが理系に進学する動機ともなりました。
気候と言えば、2000年以降の異常気象の現在と比べて穏やかで、異常といっても、台風や大雪など季節による一時的なものだけで、地球全体の気候がおかしくなってきていて、それが実際に自分の生活で体感できるようになるなんて思ってもみませんでした。そういえば、そのころの小学生向けの雑誌には「氷河期が来る」ということを絵入りで解説してあって、小学生の私はその寒さに恐怖したものでした。
昭和は子供だったから社会のいろいろな問題(当時は公害が一番の問題)はあったにせよ、社会の進歩と発展と自分の成長とがシンクロしていくということを信じていました。
大学卒業時がちょうどバブルだったので、理系だったこともあって就職は引く手あまたで、社会も豊かで就職しなくても何とかなると、フリーターになって友人と上京して一緒に住んで、毎日修学旅行のような楽しい生活の20代を終えて、気づけばバブル崩壊。昭和が終わっていたのでした。
なんだか、夢のような昭和の時代だったんだなあとつくづく思いだしています。
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