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退屈できるために

 東畑開人著「居るのはつらいよ」の中で、氏が勤務していた精神病院のデイケアに通う患者さんたちの言動の特徴として「退屈できない」ことを挙げていました。

 患者らの四六時中緊張状態で、絶えず何か(その多くは無意味であったり、エキセントリックであったりする反復動作)をしている様子を見て、彼らが「退屈」な状態から疎外されていることを感じました。

 退屈とは自分を取り巻くものに「執りつかれて」いるのに、そこから「何も与えられない」状態であり、その場にただ居ついている状態だと東畑氏は定義していますが、退屈「できる」ためには、その場に安心して居られる精神的な「居場所」を心の中に必要だと。

 それは、赤ん坊が泣いてその欲求に母親が応えるという経験の反復から、子供は他者から「受け入れられている」という感覚を持ち、自分がいてもいい場=居場所の感覚を心の中に培っていきます。

 また、退屈な時間は「円環の時間」であるとし、現在私たちが生きる「直線的に流れる時間」資本主義的社会の時間から奪われた時間でもあります。

 デイケアの患者さんたちと同様に、現代社会を生きる私たちは「居場所」を失い、「退屈」できません。退屈に耐えきれずに、四六時中スマホを眺め、SNSをしています。

 退屈とは実はそれを感じる心の中に豊かな余裕が必要なのだと感じました。