グラフィックデザイナーのナガオカケンメイ氏が新聞連載のエッセイで「『買う』は『手入れ』のはじまり」というテーマで、「手入れ」についての思いを語っていました。
ロングライフデザインを提唱している氏の考えには同姓ということもあって共鳴すること多々です。
そうか!「買う」は(ロングライフに使い続けるためには)、必ず「手入れ」が必要になる。
そのことを納得して、覚悟して購入し、使い続けるためには手入れを怠らないこと。手入れが困難なもの、不可能なものは購入しないことなど、改めて考えさせられました。
私はせっかちな性格のためか、何かを始めるとすぐにその結果を手に入れたくなります。
時間をかけてその過程を楽しみながら、徐々に、完成に近づけていくというプロセスがもどっかしくて、やりたくて始めたことなのに「早く完成しないかなあ」とその過程を楽しむ余裕がなく、その結果、(往々にして)想像した以下のものしかできなくて、完成しても満足を得ることは少ないです。
これと同じで「買う」という行為も、「欲しい」という買う前の衝動に任せて買ってしまい、それらを使い続けているうちに劣化してもそのまま使い、ボロボロになって破棄するという繰り返しです。
「貧乏人の安買い」ではないですが、高くでも上質なものを買って大事に使い続けることがいいのでしょうが、お金がないこともあり、適当に機能の果たせるものをさっさと買って、モノに愛着を覚えることもなく使い続けてしまっています。
しかし、歳をとってきて、これらのモノが自分の生きてきた時間を共有しているんだという思いが強くなってきて、モノを使い込むということは自分の魂がこもることなのだなあと感じるようになってきました。
ナガオカケンメイ氏は、「作り込み(しない)」というモノとの関係性を提唱しています。
作り込まないことで、「完成していない」状態を作る。そして少しずつ手を入れ続ける。完成したとなったら何か止まってしまう。
未完成であるという時間の要素を繰り込んだ、モノとの付き合い方があるのだと気づかされました。
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