毎月介護で山口にいる友人とスカイプで延々駄弁るのを楽しみにしています。
話した中で最近私は配信で映画を観るのが楽しみになって毎晩観ていて、
その中で気になったことがあったことを告げました。
それは、私は英国俳優ベネジクト・カンパーバッチのファンなのですが、
彼がアメリカ映画「ブラックスキャンダル(ジョニー・ディップ主演)」に出演しているのを観て、
「カンパーバッチの英国訛りは問題とされないのかな?」ということでした。
私は英語はかろうじて字幕と対象しながら聞き取れる程度なので、
英語の訛りの発音は聞き取ることはほとんどできないのですが、
アメリカ英語の巻き舌と、英国英語のはっきりとした区切った発音の違いぐらいは、なんとなく分かります。
ベネジクト・カンパーバッチは典型的な美しいブリティッシュイングリッシュを話し、
そこがまた彼の魅力なのですが、
たぶん「ブラックスキャンダル」でも英国訛りのままで話していたように思います。
なぜならば、いつもの彼の話し方と違わないように感じられたからです。
もし、これが日本の映画やドラマだった場合、登場人物の話し方に訛りがあった場合、
たぶんその要素がキャラクターとして意識されるような設定になっていると思われます。
例えば、舞台が東京で、登場人物に関西訛りがあったとしたら、
きっと、私たちが無意識で想定する「関西人(おもろい人)」という意味合いを登場人物の話方で表現するなど、
単なる訛りという話方の多様性でさえも意識する、「無視できない」ような精神構造になっているのではないかと
友人と話題になりました。
「インクルーシブジャパン」という障害のある日本を訪れる外国人のために情報を発信している、自身も脳性まひで車椅子を使用しているカナダ出身代表者が、日本についてなにか言いたいことがありますかの問いかけに対して
「車椅子を使用している人が、普通に表現されているドラマやCMがない」ことを挙げていました。
車椅子使用者などの障がい者を、一つの個性と捉え、それに意味付けしないキャラクター設定がないと。
多様性が提唱されていますが、それは多様であることに過剰な意味を付与することがないとうこと、
多様性を意味付けしないことに、日本人は慣れていないのかもしれないと、
友人が指摘していることに深く共感しました。
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