4年前に86歳で亡くなった父のことをしばしば起こ医起こしています。
亡くなる6年前に脳梗塞で言語障害になって、3年後には認知症にもなり、最後の数年は入退院を繰り返しながら、眠ったままで亡くなりました。
もともと極端に無口な人で、父と生前話したのは延べ30分にも満たない(ほんと!)ぐらいなので、正直言語障害になっても、それまでと変わりなく、本人も話したいという欲求が他の人と比べて極端に少なかっただろうと思われ、言葉がはっせられないことをそれほど苦痛に感じていないように思えて、介護する側の心理的負担もさほどなかったような気がします。本心はわからずじまいでしたが。
父のことを思い出すのは、最近しばしば話題に上る「自閉症スペクトラム(ASD)」関連の本やニュース記事を読む機会が増えたからです。
ASDの症状の多くに父の言動の様子が当てはまるのです。
小学校の教員をしていた父がASDであることは、現在ならばかなりありえないことですが、父の現役時代では「おとなしいく、ちょっと変わったことがある先生」として地方の田舎の小学校では許容されていたのだと思われます。
家庭での父は、昭和の父親の多くがそうであったように家父長的に威張って威圧的であったことはなく、子供にあまり関心がないようで、自分が興味あることだけに意識を集中していて、父と一緒に何かをしたとかしたいという記憶もなく、かといって、父から疎外感を感じることもなく、他の家庭の父を知らないので「そんなものなのだろう」と漠然と思っていました。
父の物事に対する極端なこだわりも、よくあるわがままな父親に家族が粛々と従うという昭和の家庭の典型として家族は受け入れていました。
けれども、ASDの知識を得て、「もしかしたら、父はASDだったのかもしれない」と思った時に、父とコミュニケーションがうまくいかなかったこと、本当は父に私のことを理解してほしかったこと、父の生きにくさを理解していなかったこと等々、様々な思いがこみ上げてきました。
そしてASDである父親の家庭で育ち、私自身もASD傾向がある(自閉症はスペクトラムなので)ことを自覚するようになって、今まで自分の感覚は他の人とずれていると密かに感じていたこと、人とのコミュニケーションに表面上はうまくやれていても、内心ではかなり困難を抱えていることなど、自分自身の歪みの原因の一部がそこにあったのかと、父の発達障害を思い起こして再発見しています。
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