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父像

 千住淳著「自閉症スペクトラムとは何か」を再読しました。

 自閉症(ASD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(HD)など、従来は別々の症状として分類されていたものを発達障害の症状の表れの一つとして捉えなおし、その症状の程度も虹のスペクトラムのように、定型と呼ばれる大多数の人からのバリエーションで捉えようとする「自閉症スペクトラム」について解説しています。

 私が強く自閉症に関心を抱くのは、広汎性発達障害と診断された患者さんの治療に長年携わってるため、患者さんの心を理解したいという気持ちと、4年前に86歳で亡くなった父が、たぶん自閉症スペクトラムの捉え方では、非定型部類に属する人だったのだろうなあと(父の年代ではそのような概念すらなかったので)、身近な家族で接した体験からです。

 信じられないことに小学校の教師として諦念まで勤務できた父ですが、家では極端に無口で、壊れたラジオのように一日しゃべりつづける母親とは「鍋蓋」のコンビで夫婦関係はうまく機能していましたが、子供として父の奇妙な生態に、それしか知らなかったとはいえ、「変だなあ」いつも感じていました。他の人とはちょっとちがうと。

 「こだわり」や「常同行動」は典型的な自閉症スペクトラムのしょうじょうですが、家族として父のそのような奇癖に付き合わされて辟易されていたことを思い出します。

 けれども他の自閉症スペクトラムの方がそうであるように、嘘がつけず、いつまでも子供のように純粋な部分もあり、望んでいた父親像ではなかったですが、愛すべき父でした。

 父が自閉症スペクトラムではないかというのは、父が亡くなってからその概念に触れて、腑に落ちてからです。

 もしかしたら、父は幸運で恵まれた環境にあったので、その症状が問題化していなかっただけで、自分は他者とは異なって生きるのが大変であったのかも知れないと父の生き様を思い起こしています。