小児外科医で出生前診断についての是非についても積極的に発言されている松永正訓著「ぼくとかんの7年」を読んで、がんという病気の「当事者」観について考えさせられました。
先天性疾患を持つ子供の出生についての本なども数冊記されている松永氏が、自身の膀胱がんとの闘病の様子を、
当時者視点で、赤裸々に語られているのを読んで、
「どんなに共感力が強くても、想像力を逞しくしても、がんという病気はそれに罹った人(当時者)と、それ以外の人とは、超えられない深い溝が生じてしまうのだなあ。」と痛感しました。
松永氏は小児がんの専門家としての長年の臨床や研究に携わっていて、自身の膀胱がんについての知識も、検査結果のデータをもとにプロとして適切な判断が可能であり、膀胱がんの専門家の知人医師がいるとうことで、
全くの素人よりもがんに対する知識のアドバンテージは高いはずなのに、
いや高いからゆえにか?
がんの闘病の様態は、「これでも、プロかよ」と自身に突っ込みをいれるほど、「素人くさい」対応になってしまいました。
日本人の二人に1人ががんにかかるという「ありふれた病気」であり、医学の発達でがんの生存率も高まり、
がんは「治る病気(がんの種類にもよりますが)」なってきているにもかかわらず、
がんの治療に伴う合併症による身体的、精神的苦痛などによって、
一がん患者として松永氏がどんどん追い詰められていく様は、がんの「当事者」性を浮き彫りにしています。
私も肉親にがんにかかった人がいないのですが、がんにかかることを覚悟して想定は日々しているのですが、
松永氏の様子から、きっと私も当事者になると想像を超える事態に陥るだろうなあと予想できました。
当時者は、当事者になった時にしか絶対に理解できないことを体験するのだということ。
当事者になった途端、当事者以前の自分は「他者」になってしまうのだということを、
心に銘じておこうと思います。
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