藻谷浩介・平田オリザ氏の対談「経済成長なし幸福国家論」の中で、
藻谷氏が「東京はブラックホール」との発言がありました。
少子高齢化が急速に進み、特に地方の高齢化過疎化の要因は若者の都会への
流出が大きな要因となっていますが、その行き先は東京です。
東京だけが毎年若者が流入し、人口が増えつつあります。
しかし、東京の女性の生涯出産数は1.1人の全国最低。
東京は若者を引き付けながら、それ自身再生産ができない
ブラックホールのような存在だと藻谷氏は言うのです。
私自身若い時に、強烈に東京の魅力に執りつかれて、
(本当は大学も東京にしたかったのですが)卒業後、大学時代の友人と共に
上京し30年以上暮らしている地方から東京に流入したかつての若者です。
ちなみに藻谷氏自身、私とほぼ同年齢(氏は1964年、私は1965年)
同郷(山口)なので、東京に憧れ上京する気持ちもたぶん理解できると思います。
親の介護でここ数年頻繁に実家のある山口に帰省する際に感じるのは、
はやり地方の衰退です。
特に実家のある萩周辺の山村のさびれ度の急速化は著しく、高齢化はもちろん
カーテンの閉められた空き家が点在し、小中学校も廃校、小売り店は廃業、
限界集落の実態を目の当たりにした後、数時間後、東京の喧騒の中にいると
なんだかタイムスリップしたかのような、同じ先進国日本で、
全く別の世界が存在することに改めて気づかされます。
東京に長く住んでいると、東京標準で思い込んでいることは、
日本の中でもごく特殊な「地政学的奇現象」なのだとつくづく感じます。
このような現在の事態を招いた犯人の一人でもある私自身は、
まさに東京に惹かれて、吸い込まれ
再生産せず(私の場合は望んでですが)、このまま東京に住み続けるとしたら、
地方の衰退と東京の高齢化の原動力となる、まさに藻谷氏が指摘している住民になっていく
のだろうといまさらながら自省しています。
しかし若い時感じた田舎の人間関係の濃密さに感じる息苦しさ(東京は誰もが「放っておいてくれる」快楽!)
と、退屈さ(若者が求める娯楽的の少なさ)、多様性の許容度とバラエティ度の魅力に抗うことは
当時の私にはできなかったような気がします。
特に20代はバブル期でもあったので、思う存分東京ライフを楽しむことができ、
そして東京に暮らすことの快感を味わってしまった以上、
もう田舎の生活に戻ることはできなくなってしまいました(田舎の自然の豊かさには心惹かれますが)。
しかしながら、現在の現実の厳しさをしっかりと自覚し、多様な価値観をみにつけた若者の多くが
地方に魅力を感じ、そこにとどまったり、移住したりして、新たなコミュニティを形成しつつある例も
多く紹介されていて、彼らは自分の時と比べて「なんて地に足がついている」だろうと感心しました。
私のようなものはブラックホールに飲み込まれていく運命なのでしょうね(笑)。
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