ラジオ番組「飛ぶ教室」で高橋源一郎氏が「史上最悪のインフルエンザ」アルフレッド・クロスビー著を取り上げていました。
今から100年前第一次世界大戦時にインフルエンザのパンデミックが生じ、当時の世界人口の4割が感染し、戦争による死者を上回る数千万人が死亡したインフルエンザ現象について、感染症の専門家であるクロスビーが検証した本です。
この本が書かれたのは2000年代ですが、インフルエンザパンデミックが収束して30年後の第二次世界大戦時には、このパンデミックの記憶が人々の脳裏から完全に消失してしまっていたという事実を取り上げ、クロスビーは「忘れられたパンデミック」と名付けました。
ヨーロッパでは今でも嫌な奴を指して「ペストのようなやつだ」と評するように、中世で何度もパンデミックを引き起こし、人口のかなりの割合を消失し、ルネサンスをはじめとする新たな文化の創出のきっかけをつくった病は、文化的歴史として人々の間に継承されていて、欧米人がネズミを異様に怖がるのはそのためだとされています。
しかしインフルエンザに関しては、単なる風邪(死者も多くでているのに)だと、「なんでも日常にして」しまったからではないかとクロスビーは考察します。
私たちは、怖いもの、未知なもの、不安なものを、怖いまま、未知なまま、不安なまま、持ちこたえることが困難です。だから、手っ取り早く安定するために、「日常的」で、理解可能なものに矮小化してつかみ取ろうとします。
特にSNSやネットの情報が氾濫している今日この頃「わかりやすい」、「すぐわかる」という文句に飛びついて、早急な回答を与えてもらいたがる傾向が強くなっています。
そのようにして、自分に都合がいいように作り上げた情報によって安心し、もうこのことについてはこれ以上考えなくてよい、追求しなくてよいという安堵感が、忘却の大きな要因となっているのではないかと思います。
帚木蓬生氏の唱える「ネガティブケイパビリティ」は、宙ぶらりんな答えの出ない状態に耐える能力のこと指し、物事を深く知り、文化を涵養するには、この能力を培っていくことが大切だということと、通じるものがあるような気がします。
新型コロナの感染者数を株の数値の上り下がりのように日々報道され、それに一喜一憂してしまうのは、感染流行という未知の現象を、数値に還元してとらえようとしている私たちの欲望が反映されているのかも知れない。
そうして感染が収束した暁には、数値とともにすっかりこの現象が忘れられてしまう、いやしまいたいという自分自身の思いも実感しました。
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