「病は気から」と昔から言われるように、私たちの精神状態が病気の発症や症状の進退に深く関係しているのは
誰もが体感的に納得できると思います。
しかしながら、この当たり前の感覚が、デカルト的心身二元論(こころと体は別のものである)
=科学的に体を物質の集合体として捉える現代医学では、
それを患者個人レベルの精神的現象として、研究や治療の対象とはしてきませんでした。
精神医学では行動の異常の原因が、どうやら脳=こころにあることはわかっても
それが脳の器質的変化が現れないためどうすることもできませんでした。
フロイト派の精神分析はそのような精神医学に患者がそのこころを分析医に語る行為によって
「こころ」のあり様を変えていこうという「非科学的な」治療です。
現在の精神医学では、その原因を脳の機能不全と捉え、
それを司っている脳神経のネットワーク不全だという動物実験の結果などから明らかになり、
本来の脳のパフォーマンスが可能になるように、不足した神経伝達物質を補ったり、
もしくは過剰だったりしたものを排除したりするように薬物治療をするようになりました。
しかしながら、なぜそれらの薬物が精神状態を変化させるのか、その理由はあいまいなまま、
ただ患者の症状が良くなるという結果に基づいて治療しているのが現状です。
東洋医学は心身一元論的なとらえ方で、各臓器には精神の源となるものが存在し、
臓器の働きを生み出し、逆に臓器の状態がその状態に関係することにより、臓器に特有の精神症状が現れるとされます。
例えば「肝は怒り」など。
それゆえ東洋医学では情動のバランスの乱れも、それに対応する臓器への治療を試みるというやり方をします。
科学が発達していなかった時代に人々は鋭い観察と経験のデータ積み重ねで、
その理由も分からないまま経験医学として伝承されてきました。
しかしながら、21世紀になり、免疫学の知見が著しく進歩したことで、
こころとからだはいる、免疫というシステムによって分子レベルで結びついていることが明らかになってきました。
つまり「病は気から」は科学的にも根拠のある現象であり、逆の「病は気へ」も真実であり、こころとからだは
免疫システムによって双方向に結ばれているのです。
免疫システムがもたらす「炎症」が、病の発症のすべての原因であり、それは深く脳の状態に影響を与えていること。
これが「病は気から」の理由だったのです。
つまり「病=気」なのだと思いました。
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