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山に棲む

 ジェームス・スコット著「ゾミア」、小倉美恵子著「オオカミの護符」を立て続けに読み、

 「山に棲む」ことを意味を考えさせられました。

 実家は山口県萩市の中国山地の西の端にある山間地で、萩市内からいくつもの山越えをして山間部の平坦な地にあります。

 江戸時代から続く(お墓に江戸時代の年号が記されている)伯父の代で15代以上続く地主の家系です。

 現在は自動車道が完備され(山口県は首相を輩出しているだけあって、公共事業によって県内の道路は昭和40年代にはすべて舗装されていました)、萩から車で15分程度なのですが、

「自動車がない時代、どうしてこのような山奥にご先祖さまは住むようになったのだろう?」と

不思議に思っていました。

 「ゾミア」は、東南アジアの中国南西部~ベトナム北部に至る標高300メートル以上の山地域と、そこに暮らす人々の民族誌的生活様式を指します。

 スコット氏の秀悦な視点は、ゾミアは文明から取り残された未開の土地や人々なのではなく、中央低地の文明支配から積極的に逃れてきた結果形作られた民族誌的背景があったことを掘り起こしたことです。

 ゾミアに棲む人々は、もともと中央低地の中央集権国家の住民だった人たちが、重税や戦禍や疫病などを逃れるために、山へ移り住むようになったのでした。

 「オオカミの護符」で取り上げられている、奥多摩や秩父の関東山間地に暮らす人々の生態も、中心地東京(江戸)からの距離によって文明化が遅れているというのではなく、厳しいながらも山の自然の恵みを積極的に享受しながら暮らしていきた山の民たちの共同体の様子が芳醇に描かれています。

 我が家の祖先は、戦国時代山口を支配した大内氏のキリシタン家臣の残党だという言い伝えがあり、

 我が家の墓にも裏山にも隠れキリシタンの祠があり、村全体に隠れキリシタンの遺跡が点在しています。

 もし伝えられていることが史実に基づいているのなら、わが祖先は信仰のため、また戦いから逃れて山間部に逃げ込んだ「ゾミア」であった可能性があると、ゾミアを読みながら少々興奮してしまいました。

 中学生の時に下関の市街地から父の故郷である現在の地に越してきて、若者に特有の都会至上主義の観点から、

田舎の暮らしの文化や共同体を、「遅れ」や「拘束」という否定的な捉え方しかできませんでしたが、

 両親の介護で帰省する機会が多くなり、改めてこの年代でその地を眺めてみると、

 自然がなんと豊かで若いときあれほど嫌だった共同体の紐帯もかなり変化してきているようで、

 山に棲むことの価値観が変化してきたことに我ながら驚きました。