磯野真穂著「なぜふつううに食べられないのか」の中で、
「身体はそれが住まう社会の価値観を生き、映す。」という言葉がありました。
私たちの身体は細胞の集まった主体としてだけでなく、身体の「持ち主」のコントロールの対象である客体という性質も持つことが、この本で取り上げられている摂食障害の女性たちの凄まじい体験談から感じます。
食べるという生命の根幹にかかわることは、進化により本能として私たちの身体にシステム化されて、それが満たされないと、強烈な飢餓のシグナルによって食べたいという欲求が生まれ、摂食に促されます。
誰でも食べて、飢餓の欲求を満たすことは、無条件に快であるように身体はシステム化されているはずです。
だから食べることは動物にとって快です。
それが「ふつうに」、「食べられなくなる」。
現在日本をはじめとする先進国社会に蔓延する「痩せ願望」の同調圧力は、私たちの身体の本能にまで影響を及ぼしていることを如実に表しているのだと感じました。
摂食障害の彼女たちの話のなかで、彼女たちが「食べなくなった」きっかけは、当初はみな「ぽっちゃり」していた彼女たちの体系に投げかけられる太っていることに対する否定的な周囲の言葉でした。
つまりありのままの自分の体は、「そのまま」では受け入れられない。受け入れられるためには、彼らに受け入れられる体にならなければならないという、自らの体が社会からの受容される対象となったことでした。
しかし私たちのからだは、まず、自然です。だから社会からのプレッシャーを受けてそれに答えようとしても、自然に反する場合、そこには強烈な齟齬が生まれます。
それが彼女たちが陥った摂食障害だと思われます。
食べたいという欲求と食べてはいけない(太ってしまう)という欲求のせめぎあいは、彼女たちが「ふつうに」社会に受け入れられることを不可能(不登校、退学、引きこもり)にしてしまっているし、それを十分に理解しているのに、それをやめられない。
人間は唯一自殺する動物であるということが思い起こされました。
大脳新皮質が発達した人間は、食べるという本能の根幹にかかわる欲求を凌駕するほど、そこで生まれる思考に支配されているのだと思いました。
だから磯野氏の言うように、摂食障害の治療は、その原因を心(母子関係や、周囲との関係や、認知の歪み)、脳機能(遺伝、発達障害)に「還元」するだけでなく、からだを取り巻く社会との関係をも考慮にいれた、包括的な身体観からとらえることも必要だと感じました。
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