昨日は早朝6時半ごろ山梨県で震度5弱の地震があり、10時ごろ和歌山県でも同じく震度5弱の地震がありました。
山梨県の地震では東京も震度3を記録したそうですが、ちょうどジョギングの最中だったので揺れを感じることはありませんでした。
山梨の地震は富士山の近くということもあって、危惧される富士山噴火の予兆ではないかという不安は、気象庁の地震専門家の話では違うとのことでした。
同じ日に、遠く離れた地点で割と大きな地震があったことで、毎日コロナ関連のニュースに関心が集中してたのですが、10年以内に南海トラフ地震が起きる可能性が高いという、日本の現状も思い出しました。
人間は目先の不安に心を囚われて、潜在する他の不安はすっかり忘れてしまうのですね。
まるで、「怖いのはコロナだけではないぞ。」と、日本の大地が警告を発したかのように感じられました。
西日本出身の私が東京に住み始めて、最も驚いたのは地震の多さでした。
地震を始めて体験したのが、東京に出てきた23歳でした。
それまで「地面が揺れる」という体験をしたことがなかったので、
大げさですが、実存が脅かされる体験でした。
しかし30年以上住み続けるうちに、度重なる地震を経験するうちに「地面は揺れるものだ」という認識が次第に受け付けられていったのでしょう。
東日本大震災も経験し、首都圏直下や南海トラフの地震の予測がされる中、
巨大地震に見舞われる可能性の中に暮らしていることは、意識に潜在しているものの、日ごろの雑事に心を奪われて意識にのぼることはない生活を送っています。
いつもいつも地震の恐怖を感じながら暮らすことは不可能であり、不健康でもあると思いますが、
このように被害が出ない程度に、地震について気づかせてくれる程度に、
「揺れる」ということも必要なのかも知れないと思いました。
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