昨夜は東京は熱帯夜で気温は27度を下回りませんでした。
扇風機を一晩中回しても(エアコンは苦手なので)、寝苦しく、うつらうつらと浅い眠りでした。
8月中旬は前線の影響で10月並みの涼しさの日もありましたが、
下旬いっぱいは厳しい残暑が続く予報です。
「残暑」という言葉の意味は改めて考えてみると、「暑さが残る」というように不思議な言葉づかいだと思います。
「残寒」という言葉はなく、どうして暑さだけ「残る」と表現されるのでしょうか?
「残る」という言葉には、本来ならばそそくさと去っていくべきものが、ぐずぐずと居残っている印象があります。
暑さも寒さもその極みが去って、涼しさや暖かのような心地よさを感じたいと願うため、
中々去らない暑さや寒さを疎ましく思う気持ちが生じます。
しかし、暑さにだけそれを意味する「残暑」という言葉があるのは、
「暑さ」が一過性、非本来性という認識があるからではないでしょうか?
昭和の頃までの夏の暑さはせいぜい8月上旬からお盆までをピークとして、30度に届くか届かないか。
それでもエアコンのない夏は厳しかったです。
けれども下旬には、ツクツクボウシも鳴きはじめ、朝晩の涼しさも感じられていました。
平成、令和の夏は、残暑の言葉を強く意識する夏になったような気がします。
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